2008年11月20日木曜日

寒い夜、静かな明かりの下

小学校に行く日なので、早起き。
毎週、この日だけは朝起きなければいけない時間も決まっていて、慌しい。
ぴぴろうと過ごせないのが残念だ。

もし仕事をしたら、毎日こうだと思うと、悲しい気持ちにもなる。
ぴぴろうには一月、150円分のエサと水があれば十分。お金は要らないのだ。
それよりも、ケージから外に出て動き回る時間の方が必要なのだ。
ぴぴろうのことだけ考えるならば、働いていなくて良かったとつくづく思う。

ぼくは人がやりたくないと思うこと(≒仕事)をほとんどしていないので、生活は色々な方の寄付のおかげで成り立っている。とてもありがたい。

長生きしたいと思ったら、(鳥以外の)家族を養いたいと思ったら、親孝行したいと思ったら、社会的な評価を得たいと思ったら、お金を得る手段(やりたくないことをやる、寄付を募る、騙す)の舵取りが難しくなってくる。
ぼくは即時的な生き方を好んできたし、これからもそうだと思うので、それとのバランスをとるために、この舵取りは困難な課題を有するだろうな。ただ、価値のないものに価値があるように思わせてお金を得るような、つまり最近巷で流行っている(いた)、騙してお金を取る方法だけはとりたくないな、と思う。心情的に。

小学校へ向かう満員電車の中、電車のドアを眺めていた。
窓の淵に埃がついている。なぜ、ここにだけ埃がつくのだろうかな、と思った。
風で舞ったものが、ここに溜まる? ドアの開閉によってこすり付けられる?
そのような付き方ではなかった。もっと人為的な影響を受けた形をしていた。
そう、誰かが拭いた跡が残っているということだった。
ドアはたくさんあるのに、定期的に誰かが拭いている。寒い夜、静かな明かりの下で、黙々と電車の窓を拭く人を想像した。

小学校では色々なことをして過ごした。
図書館では図鑑を読んだ。鳥の図鑑。鳥の病気のことなどが書いてあり、必要以上に不安を煽られた。
子どもの妄想話を聞いた。その子のことは良く知っているので、妄想の世界のこともよく理解できる。
休み時間には子どもたちに騙そうとされた。でも、騙されなかった。つまり、騙されそうになったとは、ちょっと違う。ぼくの名札をトイレに流そうとしていたけれど、顔が真剣じゃなかった。
数々の鬼ごっこをした。中国から来ている子は色鬼を知らなかった。一回やってみたら、楽しそうにやっていた。外国の鬼ごっこってどんなのがあるんだろう。
アンケートの回収は難航しているらしい。とりあえず、4年生には難しすぎた模様。説明不足だろうな。
子どもを帰り道の途中まで送った。能を習っている子。今度舞台があるらしい。ぜひ見に行きたい。いわゆる問題児タイプの子だけれど、能のことを喋ってるときは生き生きしていた。うれしい気持ちになった。

帰り道はパンを買い食いしてから帰宅。いつもこのパンを選ぶ時間が楽しいような、もどかしいような感じ。よだれが口の中で溢れながらパンを選ぶ。

家に帰って、ぴぴろうを見ながら本を読んで、それから晩御飯。
シーフードリゾット。初めての試みだったけれど、うまくいった。
イカおいしい。

夜は眠かったけれど、少しでも童話の続きを進めようと思って、ペンを取った。沼にはまりながらも進んでいかなければならない感覚。

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